2月の予定のお知らせ2017年02月03日

寒い日が続いています。みなさん、お元気でお過ごしですか。
1月に入って、野川公園方面で長く野宿していた3人が生活保護を受けることになり、スタッフが同行しました。
その結果、野川公園方面では野宿している人が大分減りました。

17年2月の予定をお知らせします。

食事会:2月11日(土)午後4時から 食事会(メニュー:豆乳なべ)。
1月のお雑煮は好評でした。
食事会の後、おにぎり、カイロを持って、井の頭公園方面、野川公園方面を回ります。

出前:2月24日(土)午後4時から。おにぎりを作り、井の頭公園方面、野川公園方面を回ります。

パルパン配達:2月3日(金)(本日、これからくばります)、2月17日(金)。パンを仕分けし、井の頭公園方面、
野川公園方面に届けます。

「びよんどネットおたより 2017年1月 23号」より転載【1】------びよんどネットは10年目を迎えます2017年02月07日

 10年間は長いようですが、実感としては日常のあわただしい活動に右往左往しているうちに、いつの間にか10年経っていたというのが正直なところです。

 その間、さまざまな路上の人々との出会いがありました。その各々の人は個性豊かで、波乱に満ちた人生経験を積んで来た人々でした。私たちにとって、この出会いと交流は、困難で大変な経験というよりはむしろ、それぞれが新鮮で教えられることの多い経験でした。私たちの方が逆に元気づけられてきたとも言えます。
 出会いがあれば、別れもあります。厳寒の路上で事実上、凍死した人、自死した人もいました。さらに、生活保護を受けられるようになっても、長い路上生活の間に病気が進行していて病気が発見された時には、すでに手遅れで病死した人もいました。悲しいだけではなく支援の非力さを痛感させられる経験でした。

 私たちには、はじめから多くの経験や知識の蓄積があったわけではありません。手探りで試行錯誤しながら学んでいく日々でした。当初は、生活保護を受けて住むところが確保されると、それで万々歳だと思い込んでいたところもありましたが、実際には、これまでの生き方を見直し、人生を再スタートさせるのは、容易なことではありません。アルコール依存症、ギャンブル依存症、さまざまな持病については治療が必要ですし、債務を抱えている人はそれを整理しなければなりません。仕事を見つけて自立していくといっても、今日の日本社会においてそう簡単に安定した仕事は見つかりません。路上脱出後の、こうした問題に対する相談に応じ、対応しなければならず、今では野宿者への直接の支援よりも生活保護受給者への相談、支援の方により多くの時間が割かれることもしばしばです。

 支援の対象となる野宿者の実態も10年のうちに少しずつ変化して来ました。以前は、建設・土木の現場の労働者が、公共土木事業の消失に加え高齢化や病気で仕事を失い、路上生活に陥るというのが、圧倒的に多かったのですが、ここ数年来、若い人々からの相談が増えて来ました。彼らの多くは、路上や公園ではなく、ネットカフェなどに宿泊していて、びよんどネットのホームページを見て、SOSのメールを送ってくるのです。これは学校を卒業すれば、ほぼ100%正社員として就職できるという時代は過去のものとなり、すでに労働者の四割近くが非正規雇用になっているという今日の日本社会の矛盾が、とりわけ若者にのしかかっていることが一因でしょう。しかも、私たちのわずかの経験からも、こうした若者のかなりの割合が、心の病や家族との軋轢という問題を同時に抱えていることも、痛感しています。今では、こうした若いホームレスの世代への支援という新しい課題に直面しているのです。

 生活保護をめぐる福祉事務所の現場の状況は、かつてと比べると少し変わって来て、より慎重に本人の健康、特性などを考慮した自立支援の試みがなされるようになりました。多くの限界もあるのですが、生活保護を経ないで仕事を見つけて屋根のある暮らしができるような「チャレンジネット」のような試みもなされ、路上にいる人々が自立を目指す上での選択肢は少し広がりつつあります。しかし国・政府、レベルでの福祉をめぐる基本的政策の枠組みは何ら変わっておらず、「グローバルに考え、ローカルで活動する」とカッコよく言えば、両者はつながったような気がしますが、それは言葉の上だけのことです。おおもとの政策を変えない限り、根本的な解決はあり得ないのですが、日々の対処療法にいっぱいで、そこには手が届かず、地域で歯がゆい思いをしているのが現実です。

 すでに述べたように、路上生活者の人々との交流によって私たちの方が元気づけられてきました。さらに、市民からの支援の輪はこの10年間で大きく広がりました。びよんどネットへの入会、おにぎり作りや公園周りなどへの参加、衣類、食材、寝袋などのさまざまな物資の提供、資金カンパなどさまざま支援が寄せられています。以上のような交流、支援があってはじめて私たちは、10年間続けることができました。改めて皆さんのご協力、ご支援に感謝する次第です。

びよんどネットのスタッフの多くは、私をはじめ「高齢化」して来ました。ホームレスの世代の「若返り」のようには、私たちスタッフの「若返り」は未だ実現されていませんが、これからもできるかぎり、活動していきたいと思います。引き続き、ご協力、ご支援をよろしくお願いします。 (代表 湯川順夫)


びよんどで初めての“ジビエメニュー”2017年02月12日

きのう(2月11日)は毎月恒例の食事会と公園回りでした。食事会のメニューは前の月の食事会で決めた「豆乳なべ」の予定でした。ところが数日前に今が旬のいのしし肉の寄付を受けたため、急きょメニューを変更、「ぼたん汁」にしました。いのしし肉は脂肪がしっかりのっていて、とてもよいものでした。


大根、にんじん、ごぼう、白菜、もやし、しいたけなどの野菜と豆腐を濃い目の味噌で味付けして、いのしし肉
を入れました。食べた人たちの感想は「野生の味わいがあり、おいしい」「堅くて、味がない」と両極に分かれました。


「びよんどネットおたより 2017年1月 23号」より転載【2】-----初めて活動に参加して2017年02月19日

世田谷の0円マーケット「くるくるひろば」から衣類などをたくさんいただいていましたが、そこでボランティアをしている梅垣マサ子さんがびよんどネットの活動に加わってくれました。その感想を寄せてもらいました。
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私がびよんどネットのドアをノックしたのは昨年11月、はじめは事務所開放日に皆さんとお会いして言葉をかわすことでした。そして、12月12日、足首に湿疹ができたNさんが、湯川さんと一緒に病院へ行くというので同行させてもらうことに。

病院のケースワーカーさんとお会いしてから皮膚科へ。Nさんは、とても博識で話しが面白く待ち時間もあっという間。乾燥性湿疹で必ず治るというお医者さんの診断通り、Nさんは経過順調。良かったです。ケースワーカーさんの親切な対応が印象的でした。

一週間後は、Iさんの生活保護申請のため市役所へ見習い同行することに。申請は受理され、審査結果がでるのは1月。でも、当日から食事付き施設へ入れるとのこと。年末年始を屋内で過ごせることでまずは一安心。

ここで最も印象深かったことは、「大阪や京都が近いのに、なぜ東京へ?」という担当者の問いに、Iさんが「初めて就職して住んだ土地で、なじみがあるから」と答え、さらに、最終的には、土地勘があった三鷹近辺へ大森から歩いてきたと語ったことです。帰巣本能とでもいうような「自分を守るときはなじみのある空間に身を寄せること」を本能的に選んだ行動なのでしょう。Iさんの16時間に及ぶ徒歩大移動は、こうして生活再建のための一歩に結び付くことになりました。解決すべき問題はまだまだありますが、Iさんならそれらを乗り越えることができると思います。

年末は恒例の「年の瀬公園まわり」。日用品と共に手渡しするお弁当には、心尽くしの野菜や肉、そして羊羹も入り、「お正月気分」を味わってもらいたいという思いが込められています。

経済大国の名のもとで拡大する格差と貧困、この現実がある限り、びよんどネットが、生活困難者のための「なじみのある空間」であり続けることの意義を、私は、これらの経験を通して、強く感じました。その一員として、微力ですが、貢献ができたらとあらためて思っています。(梅垣マサ子)

「びよんどネットおたより 2017年1月 23号」より転載【3】-----◆(びよんど あの人この人)ポテトサラダと夢芝居 Mさんを悼む2017年02月23日

はらはらと 霜月の雪 舞い降りぬ
荼毘にふされし おとこ静かに

雪でした。
11月も終わりかけた朝。
思いがけずに舞う雪が 冬枯れた多摩の木立を白く染め
思いがけない突然の別れを 舞い散る雪が告げました。

ちらつく雪に過ぎ去った日々がよみがえります。
数年前の野川公園での出会いから、なぜか気分よく付き合ってくれたMさん。
日曜日ごとに掛けてきた朝の電話では、気まぐれな会話を楽しませてくれたMさん。
少し頑固で、そしてかなり短気な気性のままに生き急ぎ、ひたすら我が道を歩き続けてあっけなく消えて逝ったMさん。

びよんどのイベントの度に、手際良く料理を作り皆に喜ばれ日々の清掃仕事もてきぱきこなしていたMさん。
仕事仲間のバンドでドラムを叩き、江戸川のロックコンサートではステージを盛り上げていたMさん。


そして去年の暮れに予定されていた仕事場の忘年会で、梅沢富美男の「夢芝居」を唄う事をとても楽しみにしていたMさん。

その望みは叶わなかったけれどMさん、あなたのドラムを叩く姿もカラオケでの歌声も、この降りしきる雪の中に鮮やかに浮かんで来ます。

そうそうMさん、先日 息子さんと娘さんがお線香をあげにきましたよ。 合掌。

―清掃の仕事場とバンドで1年余りをMさんと過ごしたFさんのお話し。
「う~んMさんの一番の思い出は、何と言ってもポテトサラダですね。
びよんどの事務所で初めて食べた、Mさんの手作りポテトサラダの味は忘れられませんね。
これぞポテトサラダでしたね。こんなサラダを作れるのはとてもセンスが良いからだと思いましたよ。
その後、Mさんを職場の仲間とやっているバンドに誘い、ドラムを叩いてもらいました。
職場の女性スタッフとは和やかに付き合っていて、たまにはカラオケスナックに行ったりしていましたよ。でも男の同僚には結構、無愛想でしたね。
ただ一人だけ同年齢の人とは、共通の趣味があるらしく親しくしていましたね。
そう、Mさんはドラム演奏も職場での振る舞いも、頑固に自分のスタイルを押し通していましたよ。ちょっとニヒルに、そしてちょっと照れながら…」

―びよんどの女性スタッフで、「足もみ健康法」を学び、あっちこっちで施術をしているKさんのお話。

「え~Mさんは私が開いている「足もみ健康法」の場に1回目から来て頂いていました。
でも来る時はいつも30分前に顔を見せるんです。どうしてでしょうね?
そして足を揉み始めるとすぐに眠ってしまいます。疲れていたのかも知れませんね。
Mさんはちょっとこわもて風で、口数も少なかったですね。
思い出すのは、びよんどの事務所にMさんが持ってきた“いなり寿司”と蚤の市で食べたポテトサラダでしょうか…。いつも事務所の冷蔵庫の前に座っている姿が、印象的でした。
それから江戸川のライブも楽しかったですね。Mさんのドラムもカッコ良かったし…
ああそう言えばMさん、12月の「足もみ」予約を入れてくれていました。
う~ん、もう二度と来てもらえないのは、とても残念です」

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同じ雪の日、施設で暮らしていたSさんも・・・

昨年は3月にTさんを送りましたが、11月に入って、アパートで暮らしていたMさん、施設に入っていたSさんが相次いで、亡くなりました。Mさんは協働センターのイベントでおしるこ作りをした2日後、仕事に来ず、おかしいと思ったびよんど仲間で同僚のFさんから連絡がありました。それでスタッフが部屋を訪ねたところ、亡くなっていたことが分かりました。本当に突然のことでした。

一方、びよんどの創設時から付き合いがあったSさんは4年半ほど前、事故による脳挫傷の後遺症で、高次脳機能障害になり、病院と老健施設で生活していました。この2年ほどは誤嚥性肺炎を起こし、何回か入退院していましたが、入院中の病院で眠るように亡くなりました。

11月24日、季節外れの大雪の中、昭和24年生まれの同い年、67歳で逝ったふたりを奇しくも、一緒に送りました。